美味しく喰らう

天才とは様々なものを「美味しく喰らう」存在

我が変化を見る 第三巻

目次

第一巻

第二巻

第四巻

第五巻

第六巻

第七巻

第八巻

第九巻

第十巻

第十一巻

第十二巻

第十三巻+第十四巻

 

第三巻

 

3-1(構造、名、恐怖)

名前のないと言う恐怖。
これは恐怖のソレとは違う。
今、私はRize Faustusである。
しかし、他方で私は別の名前を持つ。
この二つは全く違う構造を持つ。
求めるものすら、かけ離れている。
私のこの思想、哲学に既存の名を与えれば、
このノートに意味は無くなる。
私は今意味を創出しようとしている。
私は私の構造と世界の構造の断片とを結びつけ、
次の構造を作り出そうとしている。
しかし、今この瞬間も私は「構造」の名に囚われている。
君に怒ることができようか?
私はこれを見せたくなくなった。
しかし、自らに課した義務であるから、
私はこれを君に見せるのだ。
だからお願いだ。
無形の中に落ちる恐怖に
怯えないでくれ。
共に落ちればきっと怖くない。
でもきっと私が先に落ちるだろう。(10月6日)

 

3-2(空)

天候というモノは
多分に私の精神を
変調させる。
空は私の気分を
操るようだ。
雨は悲しい。
曇天もまた然り。
灰のような天井は
私の気分を落ち込ませる。
そして私は救いを求める。
あの人に
なんと自分勝手だろうか。
君はどうかね?
ここから何を感じる?(10月6日)

 

3-3(暗闇に落ちる)

今また、自らが落ちるであろう暗闇が
コワくてコワくて仕方がない。
私はそれでも落ちなくてはならない。
私自身を超えるため。
君の道標となるために。(10月6日)

 

3-4(日々を旅とする)

私はもう戻らない。
日々を旅として
我が変化を見よう。
もう一度だって同じ地点に立つことは出来まい。(10月6日)

 

3-5(半身を世俗に残し思考の渦に呑まれる)

いま、闇に
一人残され
何を見る
半身を世俗に
残しつつ
何処へ旅立つつもりであるか
私は私に問いながら
先の見えない思考の渦に
呑まれよう。(10月6日)

 

3-6(言い訳、臆病)

私はコワイ
せめて今は世俗に囚われることを
許して欲しい。
言い訳ばかりで
私も心苦しいが、
目の前にも多くを残している。
きっとかつて示した道の一つを行くことになりそうなことが
せめてもの慰めだ。
君はきっと笑うだろう。
私は臆病者だ。
大いに笑ってくれ。(10月6日)

 

3-7(滑稽な逃避、知恵)

逃げて逃げて逃げ続ける私の
なんと滑稽なことか!
私は私自身が虚しくなる。
だから私は呑まれよう。
名を与えられていない世界に。
混沌と創造の世界へ
思考の羽を伸ばすため
今、知恵を
自らの手の内に(10月6日)

 

3-8(「名」、体感)

私はいよいよ「名」を畏れる。
「名」は私に偏見を見せる。
「名」はレンズとなって世界を虚像に変えていく。
私たちが「世界」を虚無だと思うのは
「名」に囚われているからではないだろうか?
「名」はそれだけで一つの体系を持つ。
私たちは本当にそこを抜け出せないのか?
私は「名」の集合をもってしか君に語りかけられない。
だが頼む。
どうか「名」の外まで感じ取ることを。
私が「名」を外れて君に伝える術を持っていれば!!
私が進む「名」を取り外した世界はやはり
体感の世界であり、
一つの音から十を見る世界なのだ。
十を見ることで百を知る世界なのだ。
君がこれを理解してくれれば!(10月7日)

 

3-9(君は必ずここに来る、実践しろ)

私は信じる。
君は必ず私のいる所に来ると。
だからどうか感じてほしい。
君はこの文を読むだけで満足になっていないか?
これを読み解釈し、そこで止めてはいないか?
その先の実践を怠れば
これらはやはり空虚な世界に発散してしまう。
だからどうか感じてくれ。
世界の呼吸を
彼らの声を(10月7日)

 

3-10(名は本質ではない、声)

なぁ、君
世界に本当にたくさんの声が溢れているんだ。
「名」は声を曇らせる。
なぁ、君
どうかそれらの声に耳を済ませてくれ
君が見る、聞く、感じる全てのものから
聴こえるものを
きっと今私が言っているものは
かつて「名」を与えられたものだ。
でも私は君にこれをそれらの「名」で呼ぶことを禁じたい。
君は「名」を与えることで分かった気になるクセがある。
「名」は本質ではない。
どうかそのことに気づいてくれ(10月7日)

 

3-11(カタカナ、独白)

イカラ逃ゲテ
逃ゲルコトガ怖クテ
立チ向カウコトモ出来ナクテ
何ヲ求メテ彷徨ッテイルノダロウ
嫌ナコトカラ逃ゲテ
怖クテ怖クテ
知ルコトガ
ソレハ自分ヲ知ルコトデ
ソレハ他者ノ自分ヲ知ルコトデ
目ノ前ノ残酷ナ現実カラ逃ゲテ
デモ私ハ飛ビ込コンダ(10月7日)

 

3-12(肉体に凱旋帰国)

安息の時は過ぎ去った
彼の幸福はいま再び私の幸福にとって変わる
肉体を矮小な自己に譲り渡し
彼の得た幸福のなんと幸せなるか!
しかし私は彼の幸福などに目もくれず
彼の肉体を降伏させ
先へ進もう
今私は帰ってきた、この肉体に!(10月14日)

 

3-13(幸せを見る)

幸せを君は見たことがあるか?
人の幸せのなんと幸せそうなことか!
その些細な幸福が彼らの活力となって
世界を動かしている様は
まるでユートピアのようである。
さて、今不幸な人々よ
なぜ君たちは不幸なのか?
それは幸福を見ているからだ。
そしてそれを比較するからだ。
幸福な人を見てその人自身になった時
君もまた幸福だろう。
そして感じたことを忘れるな。
それは果たして君の幸福になるのか吟味しろ。
君の幸福は大なり小なり多種多様にあるだろう。
君がその場の一瞬の幸福を求めるか
永続する幸福を求めるか
はたまたその二つが一致するか
それは皆目検討もつかないが
君自身で見つけられるだろう。(10月14日)

 

3-14(君よ、構造を壊せ)

私は再び自分の構造と世界の構造の断片とを融合させる遊びを楽しもうとする。
私に囁く世界の声は私の胸に何を与えるのか?
夜の闇
それを克服した世界の中で
私は人の力を見る
そして聞く
人は自然を屈服させるということを
私の周りには人が溢れている
今私は1人だが独りにはなれない
私の目の前に君がいる
私は君に語りかける
君は私に語りかける
それらは互いに反響し増幅し私達の構造の中を駆け巡る
聞こえるか!私たちの声が私たちの中で響き渡るのが!
あぁ、壊してくれ!
私の構造を!
そして蠢くのだ!
私の構造が!
変化の過程を記録して、古い記録を読み返せばそれだけで私は脆く壊れる。
私とは何か?
それは私の経験全体の総称である。
一個一個の経験に名前をつけ、分類してみろ。
君は君ではなくなる。(10月14日)

 

3-15(世界の声を受け入れろ)

君自身が世界になるその時まで
君が救われることはないと
私は思う
そして君が世界になる術は
再三示したと思うが
まず世界の声を聞くこと
そしてそれを受け入れること
その後君がどうやって
悟りに至るかはもはや私が観れるものでは無いが
君がこれを依り代に
さらなる変化を共に
体感しようじゃないか
それはきっと悟りの向こうだと私は思う(10月16日)

 

3-16(3-15の発展、受け入れ方)

先ほど私は世界の声を受け入れろと言ったが
その時決して自分の都合のいいように
声を取捨選択することなかれ
全て受け入れろ
そこからしか君の救いは現れない
嫌なことには
目を閉じ
耳を塞ぎ
蓋をする
そんなことは誰もがやることだ
君はそれをしては救われない
君は君自身で君を救う他無いのだから
嫌なことにも
目を向け
耳を澄まし
そしてこじ開けろ
そこに世界の深淵の入口があるのだから
世界の深淵の中に入れば君は救われる
入る瞬間は
痛く
辛く
悲しく
虚しく
そして
怖い
だが、そこを超えずして何が得られるだろうか?
1歩を踏み出す勇気という陳腐なフレーズの通りだ。
たとえ陳腐でもその通りなのだ。
君はもう知っている
今知った
だからこれはもはや君の言葉にもなった。
さぁ、先へ進め
Plus ultra!!(10月16日)

 

3-17(一件の着信、ここから君は何を見る?)

寒かった
震えは止まらず
手はかじかみ
寒風が吹き抜ける
一件の着信
好きな人からのそれは
世界を止めた
たったそれだけ
でも確かに
そこには大きな変化が
見い出せる
さぁここから君は何を見る?(10月16日)

 

3-18(主観、視線)

なぁ君。
君の幸せは決してそれを共有することはできない。
いいかい?
それはつまり人の幸せは決して君の幸せとは関係ないんだ。
人の視点に振り回されることは
君をきっと不幸にする。
だから私はこうすればいいと思う。
君は君の主観を大切にしよう。
君の中にある絶対と生きていこう。
でも君の主観や絶対だってきっと時間の視点を取り入れれば変化する。
でもそれは他者の視点に切り替えているだろう?
君は君の主観を絶対にして不動たれ。
動くな。
決して視線を動かすな。
それをするから救われない。不幸なんだ。(10月16日)

 

3-19(不動)

世界は目まぐるしく変化する。
変化しないのは君自身だけだ。
不動になりうるのは君自身だけだ。
動かそうとすれば簡単に動かせるし、動かしたくなるが、それを動かさない努力を怠るな。
そうしなければ虚無に落ちるだろう。(10月16日)

 

3-20(大きな幸福、小さな構造)

私の幸せは些細なものだ。
君が救いを得られるならそれは私の幸せにもなるだろう。
君の夢が叶うならそれもまた私の幸せだ。
そして私自身の目標を達成することも私の幸せだ。
人の幸福を見る幸福を私は大きな幸福と言い、
自分の幸福を成すことを小さな幸福と私は名付けた。
小さな幸福もまた(これは昨日とまさに反することだが)視点を動かせば大きな幸福と言えるかもしれない。
しかし私は視点の不動をもって初めて世界を見ることが出来ると思うからこそ、自らのことを小さく見る。
それは私の世界に私自身が居ないということだ。
私自身は私の世界とはまた別にある小宇宙なのだ。
逆もまた真であろう。
大きな幸福は同時に小さな幸福に
小さな幸福もまた時に大きな幸福であり
私の幸せは他人の幸せであると共にやはり私自身の幸せなのだ。
君が救いの道を進むことを切に願う。(10月17日)

 

3-21(自己欺瞞)

ほら、目の前の忙しさがいつもいつも1番幸せなんだよ!
悟りの前の幸せが見えるのにわざわざ悟りを拓く必要があるかね?
あぁある。だって冷静になればその欺瞞まで見えるのだから。
自らを自ら欺くなんて愚の骨頂だろう!
幸せだけでは足りないんだよ。
だからと言って真実があるというのか?
私は真実を求めてるわけでもない。
自らを欺かずにその幸せを掴みたいだけだ。(10月18日)

 

3-22(知らないことは存在しない)

世界は全て私たちの知っていることでのみ構築される。
世界には私たちの知らないことはない。
これは簡単に理解できる。
君が知らないことは存在しない。
なぜなら君が存在を知っているものは全て君の知っているものだからだ。
自明の理のように私には思えるのだが、言葉が足りないだろうか?
君が知らないことは知らないことを知った時点で知っているじゃないか!
何か変なことを言っているだろうか?(10月18日)

 

3-23(選択、自由の恐怖)

旅は果てしなく
尽きることがないからこそ
命の輝きは眩い。
私たちは幸福か否かを
絶望か否かを
夢か否かを
そう、考えられるありとあらゆる決断を
自分たちの手によって定めている。
それを何か崇高な存在に擦り付け
自らの責任を放棄して
事実から逃避するのも
一つの選択であろう。
君が決めたことを君以外の何者かが決めたことにすれば
君はそれをその何者かのせいにして
絶望して
どうせ救われないと
現実を放棄出来るのだから。
自己を他者に委ねることで
自由を焼き捨て
心の平穏を
手に入れる。
君が自由を好んでいないのはよく知っている。
自由の恐怖は共感できる。
それは宙に浮いた自分自身であるから
辛いものではある。
でも私はそこから君が繋がりを見出すことで救われるのではないかと想うのだ。(10月18日)

 

3-24(怒り、勝利、世界を私自身に)

私が生まれた時
私はどうも次のように記したようだ。
「僕は死んだ
今、復活し
王道を進む
原動力は怒りだ
自らに敵意を向ける周囲への
自らを嘲笑う運命への
そして
過去に醜く執着する自らへの
怒りだ
勝つのは私だ
私が勝つ
全てに抗い
私が勝利する」
と。
まさに私の本質であろう。
怒り
そして
抵抗
もって
勝利
を得ようとする。
私の姿は全てここに帰結するだろう。
世界の常識は
決して私の常識ではない。
神の意向など
私には無関係である。
私は自らの勝利を拓いてきたという
自負がある。
私の勝利は世界(それは他者をも含めた超越的視点=いわゆる客観的視点の世界)を私自身にすることであろう。(10月19日)

 

3-25(絶対は君の中にしか存在しない)

私は自らの勝利を得た時に
悟りに至ったと思うだろう。
それはつまり私の死である。
故に君たちは私が悟りを拓いていると思った時に
勝手に着いてくれば良い。
これをもって信仰するのであれば好きにせよ。
私はそれでもこう説こう。
絶対は君の中にしか存在しない。
信仰は君自身を信じることである。
君の道は君だけが決定しうる。
と。
私は神がいるという意見を知っている。
私は神がいないという意見を知っている。
そして世界には神は意見となって存在する。
君が無神論者であるならば
君は一方の真実を切り捨てている。神がいるという意見を。
逆も同じである。
神の存在は、いるにせよ、いないにせよ、未だに証明されていない。
故に私はそれを意見として知っている。
そして神は人の想いであると言う意見を述べるのだ。(10月19日)

 

3-26(怪物)

彼は逃げていた。
彼は血を吐きながら
ひた走る
「く、来るな!」
叫び声と共に彼は消えた。
彼を消した怪物は笑う。
ケタケタと。
その怪物の歩む道は朱に染まっていた。
怪物は次の獲物を探し
その道を進む。
長い時間が過ぎた。
怪物の笑い声は聞こえなくなった。
彼は再び立ち上がった。
その時彼に傷はなく
多くを克服していた。
彼は朱の道を歩き始めた。
怪物を追うために。
あらゆる邪魔者を殲滅しながら、
さらに道を朱に染めて、
ケタケタと笑いながら、
怪物を追いかけた。(10月19日)

 

3-27(君は社会に依存する)

変質した自分
無機質な他人
不幸な社会に
君は生きる
夢破れ
絶望し
振り回され
身を失う
時には他者と
繋がりを経とうと試み
時には他者が恋しくて
ベタベタと繋がろうとする
自我はなく
流されて
その姿はまるで雪
溶けて消えたら
甘い蜜
なんてことも
あるはずなく
君は世界に絶望する
自分をもっていないから
君は社会に依存する
社会は君が作るのに
君は社会に作られる
同調を強要され
抗うことなく受け入れて
空気の鎖に繋がれる
自分で呪縛を課したのに
他者の社会のせいにして
そして世界を嘆くのか
聞いて君はどう思う
聞くことすら拒むのか
受け入れることを拒むのか
受け入れずして何を得る
そして君は
どうするか
それは私の知らぬこと(10月19日)

 

3-28(事実を受け入れろ)

私は常にまず受け入れろと言っている。
私自身それをやるように心がけているが、
やはり時には抵抗がある。
真実はいつも人を傷つける。
かつてこう語ってくれた人がいた。
いつもは誇張であるが、確かにそうなのだ。
大抵の真実は私たちにとって都合が悪い。
だが、都合の悪い真実はやっぱり事実である。
だから、君がこの道を極めたいならそれを受け入れないといけない。
より受け入れやすい方法を考えては見るが、
私が見つけた方法は使命感によるものだ。(10月25日)

 

3-29(悟りの道は一人の道)

拠り所を消し、世界と同化することで
君は悟るだろう。
その道の前までしか私は君を導けない。
悟りの道は一人の道だ。
君がその道を歩めるように手伝うことしか私には出来ない。(10月29日)

 

3-30(私は好きだ、私は嫌いだ)

私は好きだ
黒い板 白い数式
私は好きだ
白い紙 黒い文字
私は嫌いだ
黒い服 同じ服
四角い机 同じ机
私は好きだ
白い雲 変わる雲
光は時代と共に移ろう
色は人間と共に彩られ
私は今を愛する
私は嫌いだ
灰色の空 悲しい空
雲の下には重い空気
息苦しい世界
私は今を拒む
私は変わる
私は無くなる
私は存在する
私とはなにか
人の道に疑問が横たわる。(11月8日)

 

3-31(夢)

私たちは失業した。
リストラを宣告された。
何故か我社のエントランスにはハローワークがあり、
私たちはそこに行かされた。
同僚の一人がハローワークの意義を語っている。
しかし、彼女は生き残りだ。彼女はリストラされてない。
それでも私たちは仕事を探さなくては生きていけない。
同じくリストラされた仲間が言う。
だから社会保障基本的人権の範疇外だ。と。
やがて私はハローワークで紹介された場所へ向かった。
そこは閑散としたところでしかし、神聖な所のようだった。
木枯らしが吹き、木の葉が舞う。
風に飛ばされる木の葉の動きを目で追うと、
一人の巫女のような女性と、馬と鳥とを掛け合わせたような姿で鮮やかな毛に包まれた不思議な生き物がいた。
巫女のような女性が私の名前を呼んだ。
私が返事をすると
お待ちしておりました。と言う。
不思議な生き物でしょう?でも人を襲うことはないので安心してください。
私が巫女たちを不思議そうに見ていたからだろうか...
彼女は不思議な生き物の話をしてきた。
しかし、私はその生き物なんかよりも巫女の顔に驚いていた。
その顔は私が今まで好きになった人の誰にも見えたし、それ以上に美しく見えた。
私は彼女の名前を聞こうと試みたが、彼女の声は木枯らしの音に掻き消された。
彼女たちは私を奥の方に案内すると言う。
馬と鳥とを掛け合わせたような生き物の歩き方は本当に不思議であった。
ダイナミックな動きにも関わらず、一切物音を立てない。
途中、手水舎のようなところがあって、そこで私は身体を清めるようにと言われた。
冬空の下で、水が体を冷やす。穢れが祓われるとはこういうことだろうか...
そしてさらに歩くこと長く、ついに目的地に着いたと言われた。
そして刹那、私の意識が消える。
暗闇の中、私は彼女の名前を聞こうとした。
そして
私はもとの会社の高層階で髪を溶かされていた。
素晴らしいスーツに身を包んだ私は自分がどうしてここにいて、このような待遇を受けているのか分からない。
私がその部屋から出て、階下に降りると、そこは吹き抜けで、リストラされなかったあの同僚がいた。
彼女は後ろのみすぼらしい社員達にハローワークの意義を語っている。ふと、彼女と目が合った。
彼女は私を見ると深々とお辞儀をした。後ろの人達からは刺すような目で見られる。
ますます不思議であった。
同じくリストラされたはずの同僚もきっちりとスーツを身につけていて、私と共にどこかへ向かうようだった。
彼は言った。
だから社会保障基本的人権の範疇外だって。と。
私はどこへ向かうか知らないがどこかへ向かうようだった。
そしてエントランスを出る時、どこかで見たような人を見た。
同僚がどうした。と聞く。
私は何でもないと言って会社を去った。
いったいあの巫女は何者なのだろう、そしてあそこには何があったのだろうと思いながら。(11月9日)

 

3-32(円運動)

円運動は不自由だ。
それは僅かな決定が全体を決定する。
君の考える人生観は円運動のようだ。
しかし、円運動は非慣性系で、外から見るのと、
中の慣性系から見るのとは全然ちがう。
私は人の生きる道はもっと多くの独立した変数で出来ていて
より多様な生き方があると思う。
私たちの人生は一定の運動ではなく、多種多様の運動の組み合わせだとは思わないか。(11月9日)

 

3-33(世界への意味付け)

我々は物事に対して意味を見出す。
意味付けをして考える。
意味を与えず、その物事を考えることが出来ない。
そして、それは自己の視点にしがみついていることに他ならない。
自己の視点を破壊し先を表すことが出来たと出来たとしても
それは理解できないだろう。
我々は世界を理解するために世界に意味を与える。
それこそがミスリードであるということを知らずに。(11月10日)

 

3-34(観測、無我への入り口)

観測したものを観測したままに表すことは出来ないだろうか?
しかし、観測そのものもまた自己の視点の中だと言う。
それでもまず言葉と思考の焼却は無我への入り口では無いだろうか。
生きることは加算である。
より多くの経験こそ生である。
無我へ向かうには多くを捨てなくてはならならない。
しかし、それすら人は経験とする。
無我の、悟りの世界は何処か。(11月10日)

 

3-35(無知の知、賢者)

時に私はなぜ自分がその事物を知っているのかを知らない。
あることについてそれを知っていることに満足するのであれば神が教えてくれたのだと言えばいい。
しかし、そのことを深く考えるのであれば私たちは哲学の扉を叩くことになる。
そう、無知の知こそ賢者足る由縁なのは、何か一つの知っていることに縛られず、それに満足しないことにこそある。
一所に満足する人は、その周辺の不明なものを超常とし、思考をやめる。
そしてこれは短絡的思考であり、それは誰にでも出来ることなのである。
確かに賢者には人の知らないことを知っている者も含まれるが、より賢者であるのはなぜそれを知ったかまで教えることの出来るものだろう。人を自分と同じように賢者に出来るものこそ真の賢者である。(11月11日)

 

3-36(闇焔)

私の胸中に渦巻くこの闇焰は
怒りとなって
私自身を焼き尽くさないか
哀しみとなって
私自身を押し流さないか
喜びとなって
私自身を舞い飛ばさないか
楽しみとなって
私自身を踊り壊さないか
いや この闇焰は
鉄籠の如きこの胸中で
焔だけが焼かれ流れ飛ばされ壊れる
それは私をまして私の心を焼かず流さず飛ばさず壊さない
鉄籠を壊すことこそ我が望み
自身を火にくべ薪としようぞ(11月11日)

 

3-37(雪山の喩え)

ある雪山で苦行をしている僧がいた。
僧は痩せこけ今にも倒れそうであった。
その様子を見ていた熊、狐、兎はそれぞれ何か食べ物を持っていって上げることにした。
熊は川から鮭を取ってきた。
狐は森で葡萄を見つけた。
しかし、兎は何も取ってこれず、何も見つけることが出来なかった。
兎は熊と狐に責められた。
僧は大丈夫、ありがとう。と動物達に言ったが、
兎は何も言わずに突然駆け出した。
暫くして兎は戻ってきた。
兎は木の枝を何本か持ってきた。
そして兎は僧に頼んだ。火を起こしてくれと。
僧は火をつけた。
すると兎は僧に私自身を食べてくださいと言い残し、
火に身を投げた。(11月11日)

 

3-38(3-37の解説)

さて、先ほどの話は古代インドのものである。
これはシュードラが自己を犠牲にする美徳を謳った話だが、
果たして自己犠牲の美徳は低い身分のものだけにしか当てはまらないのだろうか
それともあの説話はもっと大きな意味を有しているのだろうか
私たちは身分のない社会で生まれ育ってきたが、
徳のある人とない人がいることを知っているだろう。
先の話で最も徳があったのは
僧か
熊か
狐か
兎か
善悪を始めとする価値観は人によって変わる。
君が誰に最も徳があると思ったかをほかの人と話すことで
君自身を見つめることが出来るだろう(11月11日)

 

3-39(哀れ 人の魂よ)

人の感情
起伏に富んだソレ
嗚呼 醜い
哀れ 人の魂よ
人は救われないのか
人は愛を知らない
嗚呼 汚い
哀れ 人の魂よ
知っているか君
人の汚穢なこの心
嗚呼 麗しき
哀れ 人の魂よ(11月11日)

 

3-40(Assimilation!!!!)

声がする
耳が痒い
光が刺す
目が痒い
あぁ痒い
私の身体
世界に喰われる
嗚呼痛い
嗚呼心地よい
世界と私
Assimilation!!!!(11月11日)

 

3-41(世界の無意味さ、意義ある怒り)

彼らは知らない
彼らは考えたことすらない
私たちは知っている
私たちは考えた
世界の無意味さ
自ら意味を作ること
私たちは
歩いた
彼らは
寝ていた
同じであるだろうか!
これは我が怒りである
この怒りは
思考者にとって
有意義である(11月11日)

 

3-42(幸福:私の考えの根幹)

 

幸福。
幸せ。
私の考えの根幹にまさかこれらがあったとは。
忘れていた。
そう私の思想は幸せ、幸福とあまりにも密接に関係していた。
幸せの夢想と、それに反する状態への怒り
そう、だからこそ私の怒りは世界と同化するのだ。
今再び新たな思考を始めよう。
幸福と向き合おう。
これが君の幸福につながるように!(11月12日)