実在とは何かという、存在基盤の根拠となる問題を考えるための、ダス・エアフラークテ(問い求められるもの)としての実在がどのようなものかということに関する分析を、前期ウィトゲンシュタイン的な形式で報告します。
0 実在とは、実体性と現実性を有した存在者のことである。
0・0一 実在は、認識から独立した存在者である。
0・0一一 実在のこのような性質は、実体性に由来する。
0・0二 実在は、それ故に確からしいものとして、物事の理解の根幹において、物事の成立を根拠づける作用の開始点として理解される。
0・0二一 このような実在に対する理解を正当なものとするためには、実在は現実性を有さなくてはならない。
0・一 実体性とは、生成変化の影響を被らない存在者が有する性質のことである。
0・一0一 実体性の問題について取り扱う哲学史的な系譜を辿っていくとパルメニデスに行き着く。
0・一0一一 曰く、「在るものは在り、在らぬものは在らぬ」
0・一一 生成変化の影響を被らないということは、すなわち在り続けるということである。
0・一一一 在り続けるという事態は、有は有であるという恒真命題を主張する。
0・一二 実体性は、恒真命題を形成するものであり、その論理的真性は、実在が認識から独立することを要求し、またすべての現象することの根拠として機能することを許可する。
0・一三 存在者のみが、実体性を有しうる。
0・一三一 一見すると実体性があるように思われるもの、すなわち生成変化の影響を被らないものとしては、カントが述べたような認識のアプリオリな形式としての時間や空間のようなものが挙げられる。
0・一三二 しかしこのようなものは、認識という行為こそが開始点となって理解されるものであり、認識のアプリオリな形式が認識を成立させる訳では無い。
0・一三三 これは認識のアプリオリな形式が存在者ではないために生じることである。
0・一三四 存在者以外のものは、有は有であるという恒真命題を引き受けられない。
0・二 現実性とは、現象学の対象となるような内世界的な事象に対して影響を持つ代替不可能な固有の存在者が有する性質のことである。
0・二一 現象学の対象となるようなものは、内世界的である。
0・二一一 もちろん自然学(及びそこから派生する自然科学)は現象学の範疇に含まれる。
0・二一二 同じように人間の活動に関する諸学(所謂人文系学問)も現象学の範疇に含まれる。
0・二一三 形而上学を除く全ての学問は、内世界的な諸現象を探求するものであるから、全て現象学的要素を含む。
0・二二 内世界的な事象とは、実際的に生起している諸現象とそれに関わる存在者のことである。
0・二二一 このような事象について取り扱う哲学史的な系譜を辿っていくとヘラクレイトスに行き着く。
0・二二一一 曰く、「万物は流転する」
0・二二一二 存在論の歴史は、パルメニデスの存在理解とヘラクレイトスの存在理解をどのように両立させるかを試みる歴史であったと言える。
0・二二二 内世界的な事象は、我々の現前に実際的に生起する物事と等しい。
0・二二三 それらは、生じ失われるものであり、在り続けない。
0・二二四 故に、内世界的な事象を取り扱う命題は真偽が問われることになる。
0・二三 内世界的な事象に対して影響することが出来るもののうち、固有性によって特定されることが出来る、代替不可能な存在者のみが現実性を有する。
0・二三一 もちろん内世界的な代替不可能な存在者は、現実性を有するが、内世界的な事象に影響することが出来るのであれば、外世界的な存在者も現実性を有しうる。
0・二三二 現実性の要件である代替不可能性は、現実性を有するものが存在者に限定されることを規定する。
0・二三二一 存在者でないものとは、つまり存在者に対して働きかける動きそのものであり、これは当然に代替可能なものである。
0・二三二二 何らかの動作、例えば書くという行為について想像してみると分かりやすいだろう。これは、話すという行為に代替可能であり、書くという行為そのものは固有でない。