美味しく喰らう

天才とは様々なものを「美味しく喰らう」存在

休日を無為に過ごしたことに関する反省

今年の私は書くことをこそ使命とし、それに従事しようと言うのが、もっぱらの目標である。そのついでに、人に対しても文章を書けとせっつく心づもりがあるとなると、自分が人に書けとせっつかれた時には、これに応えないということは、筋が通らないだろう。
というわけで、今回の記事が執筆されているわけであるが、特段書こうと思えるような特筆すべき主題がある訳でもない。書けとせっつかれたのも、日記的なものを書けとの事であったから、なおのこと主題を見つけられない。
ここで主題を見つけられないという事態は、私の生活が散漫としたものであることを示している。だいたい仕事が休みだということで、わーい夜更かしできるぅ! と喜び勇んで夜更かしを楽しむのは良いのだが、いよいよ寝るタイミングを失っている。
さて、深刻な問題もある。仕事が休みであるということと合わせて特段のやる気もなかったので、本当に無為に一日を過ごしたのだ。最近私は、一日事にいくつかのタスクを設定し、これをこなすことで、一日を有意義なものとすることにしていた訳だが、つまるところ、昨日は、まったくそのタスクをこなしていない。果たして、これからそれらのタスクを巻くことはできるだろうか? 正直そんなことが可能な未来を思い浮かべることは困難である。
一日たりとも、自ら従事すべき仕事から逃げ出すべきではないのだという反省がこの文章を覆っていく。
信仰を証することこそが、私のある種の固有な実存であって、幸福に資するものな訳だが、自ら自らのことを幸福から遠ざけているのは愚かであるとしか形容出来なかろう。
せめて明日こそは自らにとって十分に納得のいく一日にしたいものだ。