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ロシアのウクライナ侵攻に関して

西暦2022年2月24日、ロシアのウラジミール・プーチン大統領ウクライナに対して宣戦布告をした。以降ロシアはウクライナ全土に対して電撃戦を展開。ウクライナ各地ではウクライナ軍による必死の防衛が行われている。

 

昨日2月26日、私は思想的同志らと共にロシア大使館前での抗議活動、及び渋谷での大規模デモに参加した。
今回のロシアの行動に対する私自身の立場としては、
「いかなる名目の上でも、帝国主義植民地主義的な侵略行為を容認することは不可能であり、ウクライナ民族自決権を脅かす今回のロシアによる侵攻は断じて認められない」
という地点に落ち着くこととなる。

 

不本意な西側帝国主義との協調

私は第一に平和主義者であり、そのような立場からも当然に戦争状態は看過しえないものである。また、よりリアリズムに如何に平和主義を達成するのかということを考えた時に、反帝国主義を志向し、帝国主義に対する有効な抵抗として民族主義を支持する。
このような立場から上記の発言へと至る訳だが、今回のウクライナ侵攻に関して言えば、残念ながらその争点は、西側帝国主義ロシア帝国主義の対決と言わざるを得ない。軍事侵攻の先制とその強い帝国主義植民地主義的な思惑の表出という観点からロシアを咎めることにはなるものの、ロシア側の主張するNATOの東方拡大という問題はロシア側と同じく問題視することになる。
とは言え、ウクライナの現実的な選択として、西側帝国主義の庇護下に入るかロシア帝国主義の庇護下に入るかという最悪の二択しか残されていない点には留意しなくてはならないだろう。これは我が国にとっても等しく直面している問題である。
我が国は幸いなことに、明確に西側帝国主義に呑み込まれているために、ウクライナよりも若干マシな立場ではある。またウクライナの人々に対して容易に西側帝国主義への屈服を責めることは我が国の現状や彼らの現実からしても難しい話だろう。
とにかく今回の最大の問題は、ロシア帝国主義が実際的な武力によってそれを結実させようとしていることであり、それを糾弾することに関しては、たとえその問題視する争点が異なるとしても、西側帝国主義と歩みを共にすることができるものである(当然、極めて不本意であり残念なことではあるが)。

 

西側帝国主義を認めることも出来ない

その上で、私は全ての帝国主義を糾弾すると共に、民族自決の重要性を、個人的な思想的立場から発信する必要を感じた。もちろんデモ活動やロシアに対する掣肘などは様々な方法で実行されなくてはならない。しかしそれらはおそらく西側帝国主義の利益となるものだろう。そのために私は自身が西側帝国主義に与することに対する悔悟の念からもこの文章を書くことにした。

 

帝国に対抗するために

いかなる帝国主義も認められない。これは平和主義者からの主張である。そして哲学的な倫理からしても認められない。帝国主義とはつまり相手の様々なものを覇権国家・民族によって破壊し、覇権国家・民族の文化・制度・その他様々なものを押し付ける行為である。
このような帝国主義に対する抵抗としては、非覇権国家・民族の文化・制度・その他様々なものを、固有な模倣子として尊重し、保護していくことが必要である。これこそが民族主義であり、共栄主義である。私はこの思想を強く支持し、その観点から、西側帝国主義をも問題視する。
残念ながらウクライナや我が国が直面するものとして、どの帝国に属するのか、あるいは我々が帝国になると言うような選択肢しかない(ように見える)という問題を抱えている。
これは我らの国土の地理的な条件として各帝国の衝突点に位置しているということが挙げられるだろう。地理的な条件を書き換えるのは非常に難しい問題である。どちらかの帝国に属することが出来なければ別な帝国に侵略される。今回のロシアの行為はそれを世界に顕著に示してしまった。より私たちの共同体を尊重してくれる帝国への加入があたかも有益な手段のように映ることになったことを深く憂慮する。どちらにせよ帝国は様々な手法によって我々を侵略することを意識しなくてはならない。今回の件を通して西側帝国主義を容認・賛美してはならないのだ。
帝国の側を解体していくことが極めて重要であり、その実現に向けて私は政治的なアプローチを進めていきたいと考える。

 

終わりに

稚拙な文章になってしまったが、最低限主張しなくてはならないことを書き記すことはできたように思う。なかなか時間の無い喫緊の問題に対する文章であるから、不完全なものではあるが、このような形で公開することとする。