美味しく喰らう

天才とは様々なものを「美味しく喰らう」存在

これこそが民主主義の帰結に他ならない 

おおよそ全ての民主主義は今回の帰結を待っている。至らざるを得ないものとして、安倍元首相暗殺はあった。

帝国時代、大正デモクラシー五・一五事件によって終わった。しかし、では大正デモクラシーは暴力によって消えたということになるのか。ならない。大正デモクラシーもまた暴力と共にあった。それは民衆による暴力も政府による暴力も共に。
米騒動はまさに大正デモクラシーの最中に行われた。人々の怒りが破壊的な力、すなわち暴力となった時、民主主義は最も美しい花弁を開かせる。近代民主主義の祖はフランス革命であり、清教徒革命であり、そして独立戦争なのだ。流血と無縁な民主主義などありはしない。
おそらくこれから我が国は凄惨なる時代を迎える。暗く暗黒に包まれた時代を。我々は歴史的事実として知っている多くの事柄を、今まさに起こるものとしてこの瞳で見ることになる。我々は歴史の終わった時代を通り去り、まさに歴史が作られる瞬間を生きることとなった。我々は今後生き証人となるだろう。我々は語らなくてはならないのだ。この時代を。
どうやって?

この30余年、自民党政権による政治が我が国をズダボロに破壊したことはいよいよ各種統計をもって明白な事実として明らかになりつつある。この30余年の中で最も長くこの国の行政府の長として君臨した男は、民主主義の終末を到来させることとなった。凶弾が彼の身体を貫いたために。
これが「アベ政治を許さない」という極めて民主主義的なスローガンの帰結に他ならない。これは、これこそが民主主義の達しうる終着点に他ならない。
今後我々はさらなる管理社会化の前で、抗いし人々の発砲をもっともっと聞くことになるだろう。それはまだ民主主義の蕾であるということを忘れてはならない。
国家権力による暴力は格段に強くなる。国家はもはや国民を守るべき民から排除すべき非国民の隠れ家とみなすだろう。
我々は知っている、この歴史を。我々はもはや抗いがたい歴史の渦に巻き込まれつつある。一体これは避けることの出来ない破滅であるか? 私は否であると言いたい。否であるとするためにこの渦から抜け出すための実存を要請する。諸国民よ。もはや階級闘争も何も無いのだ。あるのは実存をするか否か。我々が我々自身の運命を手網をつけて飼い慣らせるか否かということである。
この実存は時に暴力という選択によってしかありえないかもしれない。しかしそれは否定されてはならないだろう。我々が否定するのは非実存的な事柄全般である。もはや受動的に歴史に乗ってはならないのだ。悲劇を繰り返さないために。
今一人の男が死にかけている。その姿は最後まで議会制民主主義と不可分となっただろう。
我々は繰り返すべきでない。歴史的な愚行を。今我々は実存をするべきなのだ。そしてこの暴力こそが、これこそが民主主義の帰結に他ならない。