美味しく喰らう

天才とは様々なものを「美味しく喰らう」存在

『我が変化を見る』解説 その1

・はじめに

 さて、私自身の思想的帰結の一端を成す『我が変化を見る(以下、「我が変化」と称する)』の分析作業を始める。この分析作業を通して徹底した自己批判を展開出来ればと思う。その自己批判が私の思想的飛躍に多大なる貢献をしてくれることを期待する。
 今後展開する自己批判に関して、私が運営に関与するLINEのオープンチャット「両翼談話室」にて、直接意見を受け付ける予定だ。何か言いたいことがある方はそちらの方で鋭い指摘をして頂ければと思う。
 今回は全体の概観について見ていく。 

 

目次


・構成の分類

 「我が変化」は主に三つの部分に分けることが出来る。
 第一巻第四巻を前期
 第五巻第九巻までを中期
 第十巻第十三巻+第十四巻までが後期
と考えることで分析がしやすくなると思われる。
 
 このような三部構成は、構成と内容という点で、第三巻31章(夢)に象徴されるという指摘を大切な友人であるK氏より受けている。
 

 ・唯我論の形成という側面に関して

 私の思想的変遷は、自己拡大とその不安を通じた唯我論の形成を主軸のひとつに展開されたと言える。その特徴は、ファウスト的衝動とその挫折ということにある。前期は変化に対する期待と不安感という観点から、感情、幸福、本質的な自己の究明にむかっていたが、その結果、自らの不変的性質を漠然と獲得して言った。中期においてそれはさらに深化することとなり、超越者という限界に直面する中で、後期における現実への回帰という問題意識へと再編されていった。
思想史的には、唯我論はウィトゲンシュタイン等々によってロゴスの限界として展開されてきたが、私の唯我論は、ロゴスの出発点となる根拠として用いられるという特色がある。
 

・各期の特徴

 さて、前期、中期、後期、のそれぞれの特徴を見ていこう。


 ・前期について

 前期における主要な問題は、「自己の変化」そのものであろう。変化にあたって生じる恐怖感というものを理解しようという試みから始まる前期は、その過程において次第に感情や幸福という問題を扱うようになる。また、本質的な自分自身とは何かという問題に直面する。
 ここにおいて開示させれる、哲学・思想に対する態度は未だに強く受け継がれている。
 感情に関しては、比較的早々に結論を出しているものの、その後も自分という枠組みの未確定さの中でのたうち回ることになった。
 幸福にまつわる問題に関しては、おそらく変化の必要という観点の中で生じたのではないかと推測される。仮に変化が恐怖を伴う不幸なものだとしたら理不尽なる変化はなぜ生じるのか? どうすればそこから救われうるのか? このような問いが漠然と付きまとう中で、幸福とは何か? という問いが生じ、それに向き合うことになったと思われる。また、この問題に関連して、既に私の思想から失われてしまった倫理に対する各種の本質的考察が記録されているのは特筆に値する。
 本質的な自分自身とは何か。おそらくここを突き詰めようとした結果、前期は終了した。前期において、変化することを受け入れる姿勢を示しているが、それは同時に、自分の枠組みの確定を不可能にした。最終的には、ファウスト的衝動にかられ、その自己拡大の永遠性を求めるようになった。そしてそこにこそ自らの不変的性質を見出すのだ。
 

 ・中期について

 中期は主にオートマティスム(シュルレアリスムの表現技法のひとつ)の実践に費やされている。そこにおいて、自己の機能が認識行為のみに集約される体験と、超越者への漠然とした接触体験が、ファウスト的衝動の限界となった。そして、直観における、自己の本質への気づきを得ると共に、拡大する自己としてのファウスト的衝動の否定、世界と自己の壁の生成に一役を買った。また友人のK氏の指摘によれば、ここにおいて思想的な去勢が見られる。
 

 ・後期について

 後期は、様々な内容が散文的に収められている。後期の思想の多くは、今なお私の思想的中心を占める。
 後期において、はじめて政治思想に触れることとなった。また同時に、視点を中心とした本質的な自分自身の分析と、世界と自己の不可分一体性の統合を通じた、空思想等の神秘的側面にも足を踏み込んでいる。
 後期を通して言えるのは、その内容が常に現実の運動とどのように結び付けばよいのかということを思案しようと試みている点であろう。
 この動きは、自身の活動スタンスの決定となったと共に、その後の私自身の人生へと連続している。


・終わりに

 さて、「我が変化」の全体の概観はこのようなものである。しかし、各短篇は、それぞれに思想的断片と、現在の私に対する重要な示唆を持っている。
 今後は各短篇の解析を通して、現在の私に対する痛烈な批判が繰り広げられることとなるだろう。
 もしよろしければ今後ともお付き合い頂ければと思う。